天台宗
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教区の寺院 - 如意輪寺

寶珠山理性院 如意輪寺 ◇所 在 地  〒130-0001 墨田区吾妻橋1丁目22番14号  〔通称 牛島太子堂〕 TEL 03−3623−4849  ◇交  通  営団地下鉄銀座線/浅草駅・東武鉄道/浅草駅下車 徒歩10分 都営地下鉄浅草線/本所吾妻橋駅下車 バス/リバーピア吾妻橋 徒歩5分 ◇開  創  嘉祥2年 (西暦849年) ◇本  尊  如意輪観音 ◇ 如意輪寺は、 通称の牛島太子堂の別当にあたります。 嘉祥2年 (849)、 比叡山四祖慈覚大師円仁 (794−864) が入唐求法から帰って、 故郷の下野国 (栃木) 大慈寺への道すがら、 聖徳太子自作の太 子像を安置したことに創まると伝えます。  牛島の地の太子堂として通称が生まれましたが、伝わった太子像は像高2尺4寸5分(74.24 p)、長 屋門の中、 石鳥居の正面宝形造の太子堂に祀られてあり、堂前には拝殿跡らしい礎石がありました。そ の右側に別当如意輪寺の建物がありました。  『葛西志』 には、「往古の今の小梅村水戸家御蔵屋敷 (今の隅田公園)の辺にこれあり。 村開闢より の堂なりといへば、 古くよりのものなるは論なし。 当所へ移りしその年暦は伝えざれども、 寛文二年 (1662)梓行の江戸名所記に中の郷太子堂とのせたれば、 是よりさき移りしはしらる」とあって、 現在 地への移転の時期がわかります。  『葛西志』 では、 中の郷元町に、 東向きに北から、 天台宗一道寺(長勝寺)、 真言宗の愛染堂、そし て太子堂と並んでいたとし、 太子堂の西隣には、 仏立講 (本門仏立宗) の清雄寺が並んでいました。  大正 12年 (1923) の関東大震災で灰尽に帰し、 区画整理もあって現在地に落ちつきました。その際、 太子像と如意輪観音像が失われ、 現在は如意輪寺本堂に、 縁を得て勧請された美しい如意輪観音と、 中興の住職が刻んだ孝養太子像が合祀されています。  明治維新までは上野寛永寺末、 その後、 成就寺 (江戸川区逆井) 末となりました。  『江戸名所記』 には、 文禄年中 (1592−5) 太子堂近くに光りが発し、 弥陀三尊の種子を記した板 碑が出土し、 これを供養するとその怪異が消えたと出ています。 残念ながらこの板碑は現存していま せん。  現在は、 リバーピア吾妻橋と名のる高層ビル群の東側に位置して、 昭和 32年(1957) 建立の本堂と、 その南側に平成 10年 (1998) 完成の寺務客殿棟という配置からなっています。また墓地入口側に、納 骨堂をかねた阿弥陀堂一宇があります。 墨田区登録有形民俗文化財 六面塔 延宝6年 (1678) 4月 13 日銘 区内から発見されている最古の六面塔であり、 六面それぞれに地蔵像が陽刻してある。 牛島太子堂鳥居扁額 関東大震災まで立っていた石鳥居扁額。 水戸徳川家臣 雪斎の銘がある。 石仏・石塔 首都高速6号線建設により、 源森川川口水上署交番安置のものと、 町内出土のものを墓地入口に安置。 阿弥陀堂 墓地入口側にあり。 納骨堂。 寺報・布教紙 寺報 「如意輪寺のお知らせ」 12 月、 4月 「菩提寺だより」 部内同人と発行7・12 月 葛西三十三所観音参 第2番 『東都歳時記』 附録出。 元禄年中浄清記 年 中 行 事 1月7日直後の日曜日 新年写経会 5月第3日曜     おせがき会




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