福聚山慈眼院
正観寺

◇ 福聚山 慈眼院 正観寺は文禄癸巳年 (1593 年) 浅草寺の中興であった忠尊和尚によって開
かれました。
明治 10 年に作られた公文書 「寺院明細簿」 には
東京府下武蔵國葛飾郡請地村 92 番地
芝崎町東光院末
文禄癸巳二年 開基 忠尊和尚也
となって居ります。
これより前、 江戸幕府が発刊した地誌 「新編武蔵風土記稿」 には
同宗 (註・天台宗) 浅草東光院ノ末 福聚山 慈眼院ト号ス 本尊阿弥陀、 傍ニ観音アリ 地蔵堂
本尊ノ外 弥陀ヲモ置リ 共ニ石像ナリとしています。
開基の忠尊和尚は、北条氏の臣である伊丹氏の出自で、 伯父である浅草寺観音院の忠豪和尚の弟子
となり知楽院(のちの伝法院) の第2世住職となっています。 また、 江戸城内の紅葉山東照宮の別
当にもなっており (元和3年1617 年) 更に日光山輪王寺観音院の開基でもありました。 日光山と
の関係は、 後に日光山護光院住職の吉田ェ祥和尚が、 正観寺第 18世住職として転住して居ります。
創建当時から、この附近は低地であり、 数知れぬ水害にあい、 更に震災、 近年になって戦災にあい、
寺宝、 古文書等は、 すべて灰燼に帰してしまいました。 第 18代住職の努力により歴代だけは判明
しました。
戦後、 第 22世玄道住職は、 昭和39年に本堂を再建し、 昭和50年には庫裡を建立して、 境内は整い
ました。
23 世玄明代に入ると、 写経を半永久的に納められる写経塔が建立され、 そのような中で正観寺は、
開創 400 年の節目の年を迎えました。
開創 400 年の記念事業として、 山門、 山道、 本堂、 庫裡の改修および、 記念出版として 「正観寺
史」 および 「生活の中の仏教語」 が上梓されました。
平成6年、 全ての事業が円成し、 今日に至っています。
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