天台宗
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教区の寺院 - 不動院

砂尾山橋場寺 不動院 ◇所 在 地  〒111-0023 台東区橋場2−14−19 TEL 03−3872−5532  ◇交  通  地下鉄日比谷線・千代田線・JR常磐線/南千住駅下車         都バス/橋場2丁目アパート前下車 徒歩1分 ◇開  創  天平宝字四年 (西暦760年) ◇本  尊  不動明王   pt2fudo.gif(39287 byte) ◇ 橋場不動尊の名で親しまれる当寺は、 正確には砂尾山橋場寺不動院といい、 天平宝字4年(760)寂 昇上人によって開創された。 当初は法相宗であったが、 長寛元年 (1163) に、 中興の祖といわれる教圓 坊 (一説には長圓) によって、 天台宗に改宗され、 浅草寺の末寺となったと 『文政寺社書上』 に記さ れているが、 現在は浅草寺と本末関係はなく、 比叡山延暦寺末となっている。  本堂は弘化2年 (1845) の建立で、 その古色をおびたたたずまいは、 うるおいにみちている。  本尊の不動明王像は、 『江戸名所図会』 に 『緑起に曰く、 本尊不動明王は、 良弁僧都相州大山寺に ありし頃、 彫刻ありし三体の一にして、 かの寺の本尊と同木同作なり。 僧都一時上足寂昇師に告げて云 く、 三体のうち一体はこの山にとどめ、 一体はみずから持念す。 残るところの一体は、 汝に附属すべし となり。 仍って僧都化寂の後、(宝亀四年歳八十二にして寂せり) 寂昇上人上総の方へ赴く道の次、 適こ の地に至り、 霊告を得て有縁の地たることをしり、 ここに安じ、 則ち村老野人にかたらひて草堂を営み、 砂尾不動と号す云々。』 とあり、 良弁僧都の御作であることがわかるが、 このご本尊は秘仏となってお り拝観することはできない。 しかし、 お前立のご本尊としての不動明王があり、 その偉容は周囲を圧し ている。 だれの作かはわからないが、 おそらく鎌倉期のものとの推察される。  寂昇上人が、 浅茅の生い茂るこの地に当寺を開創したのは、 1200余年も昔のことで、 奈良時代末期の ことであるから、 文字通り橋場第一の古刹といえよう。 ○富貴弁財天  ある信徒の方が見えて申すには、 昨夜次のような夢を見たというのです。「橋場の御不動様の本堂前を 竹ぼうきで掃いていたら、 落葉の間に大きな白い蛇が出てきました。 こわくなって本堂左わきの木の下 まで竹ぼうきで追っていったら、 木の上から又、 蛇が落ちてきました。 ずっと木の上を見たら、 なんと 無数の蛇がむらがっているではありませんか。 あまりのこわさに目がさめました。 …このような夢を2 日間にわたって見ましたが、 何かお不動様と関係があるのでは……」  私は 「お不動様と蛇ね。 うーん、 あまり関係なさそうですね」 といって、 その信徒の方を帰しました。 しかし又、 別の信徒の方が見えて同じような話をされるので、 考えてみたところ、 お堂の片隅に、 古び た弁財天様がお祭りしてあることに気がつきました。  これはお不動様が弁財天様を修理するよう命じられたのだと思い、 さっそく修理させていただくよう 発注いたしました。  ところが、 これまた不思議なことに、 井之頭の弁天様のご本堂が立派に出来上がり、 その落慶法要の 帰りに修理所に立ち寄ったところ、 当初は、 虫喰いもないので、 無くなっている手や持物をつけ、 彩色 をほどこす程度の修理の予定でしたが、 お首が少し動くので、 取って見ましょうと修理士が言い、 首を ぬいたところ、 胎内より奥書が出て来たのです。 それによりますと、 元禄2年 (己巳) 9月に保田庄衛 門という方が奉納したことが判明いたしました。 元禄2年はその時より丁度 300年前に当たります。 60 年周期ですからその年は己巳の年に当たります。 全く不思議な御縁に、 身が引きしまる思いをしたこと でした。 (年1回御開帳厳修) 関東36不動霊場 第 23 番札所 浅草名所七福神 布袋尊奉安




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