薬王山医王寺
東光院
◇所 在 地 〒111-0035
台東区西浅草3丁目11−2 〔通称 浅草薬師〕
TEL 03−3842−1755
◇交 通 地下鉄銀座線/田原町駅下車 徒歩8分
◇開 創 天長年間 (西暦824〜33年)
◇本 尊 薬師三尊
◇平安時代の初め、 天長年間(824 〜 33) 慈覚大師によって草創され、 その高弟の光尊阿闍梨が開基と
なって、 仏工春日作の薬師三尊を安置したと伝えられている。
それより 600 年ほどたった長禄元年(1457) 太田道潅 (持資入道) が江戸城を築き、 日頃から、 当院
の薬師如来に帰依していた。道潅は東光院を江戸城の鬼門にあて、 その長久を祈願したという。
天正 18 年 (1590) 徳川家康が、 関東8カ国の領主として江戸に入ると、 江戸城の拡張修理と、 市街
地の整備にかかり、 局沢 (今の皇居内吹上御苑のあたり) にあった当院は、 他の15ケ寺とともに移転を
命ぜられ、 常盤橋御門の北へ移った。
慶長年間 (1596 〜 614) 小伝馬町へ移転。 当時、 江戸天台3ヶ寺は浅草寺、 観理院 (日枝神社別当)、
東光院といわれ、 末寺108ヶ寺を有する総本寺で、 薬師様のお寺として広く知られていたようである。
慶安年中(1648 〜 51) 108 ケ寺中、 85 ケ寺を寛永寺に附属し、 自ら 23 ケ寺の末寺の末寺頭となる。
明暦3年 (1657) 本郷本妙寺より出火した 「振袖火事」 で江戸市街地の大半が焼失し、 当院の堂宇も
灰燼に帰した。
翌、 万治元年 (1658) 現在地の浅草新寺町へ移って、 再建に着手し、 4,258 坪の境内地に本堂、 薬師
堂、 鐘楼等が次々に再建された。
そして、 亨保 16 年 (1731) 当院の隣接地が御鷹場となり、 歴代将軍がしばしば当院を訪れたという。
下って、 慶応4年 (1868) 江戸幕府崩壊のとき、 薩長軍と彰義隊の上野戦争が起こり、 山内を逃れた
輪王寺宮 (公現法親王) を匿ったことにより明治新政府より数々の圧迫を受けた。
関東大震災、 大東亜戦争、 ともに大きな被害を受けたが、 敗戦の翌年、 6坪の仮小屋を本堂とし、 以
後、 檀信徒の外護と第 30 世静渕住職の努力により、 昭和 37 年 11 月現本堂が落慶した。
○東光院略年譜
天長年間
(824〜833) 慈覚大師により局沢 (皇居内吹上御苑) に草創、 開基は大師高弟の光尊阿闍梨
長禄元年
(1457) 太田道潅江戸城を築き、 江戸城の鬼門除けとする。
天正 19 年 11月家康侯より御朱印15石を (江戸今井郷) 拝領
(1625) 東叡山寛永寺開創
慶安年間
(1648〜51) 末門 108ケ寺の内 85ケ寺を寛永寺慈眼大師 (天海) に附し、 自ら末寺頭となる。
明暦3年
(1657) 江戸大火 (振袖火事) で類焼
万治元年
(1658) 浅草新寺町へ引寺
慶応4年
(1868) 4月16 日〜17日寛永寺を落ち延びた輪王寺宮当院に入るが、 探索厳しく、市ケ谷自証院へ
大正、 昭和 関東大震災、 第二次大戦で二度堂宇焼失、 再建