金輪山最勝寺
総持院
◇所 在 地 〒110-0001
台東区谷中6−2−33 〔通称 谷中不動尊〕
TEL 03−3828−6795
◇交 通 JR 線/日暮里駅下車 徒歩7分
◇開 創 慶長16年 (西暦1611年)
◇本 尊 阿弥陀如来
◇天正 18年(1590) 徳川家康江戸入府のとき、 旗本大久保七郎右衛門忠世 (彦左衛門長兄) も大山不動
尊と同木同作と言われている守護神の不動尊を奉持して、 神田寺町に安置しました。 慶長 16年(1611)
2月忠世の子忠隣の代に境内地 400坪(1,320 平方メートル)を賜り、 栄松法印を開山として茲に創建い
たしました。
これより 37年後の慶安元年 11月には、当所へ代地を賜り移転して、 町名を総持院門前町と称し、明治
2年に総持院町と改め、 同12年4月に谷中町となります。 通称谷中不動尊はこの町名に由来しておりま
す。 芝崎町の東光院が本寺です。 谷中町及び近辺の信者で講中を作り、 大山詣りも盛んに行われ、毎月
28日の縁日には屋台も出て賑わったと言われています。
家康の長子信康 (1579 自刃) と、 その母築山 (今川義元の養女。 1579 賜死) の母子共に生害された
のを忠隣の孫忠朝深く憐み、 元禄 11年(1698) 120回の御忌辰には、御位牌を当院に安置されてご冥福を
祈念されたと言うことです。 正五九月には代参を遣わされています。
明治 23 年4月高村光雲は下谷西町から当院の宅地に転居しています。 門構で平家建の家でした。 光
太郎7歳姉さくが 14歳の頃です。 光太郎は日暮里小学校に通っており、谷中墓地で友達と元気に遊んで
いたと言うことです。
姉のさくは利発で絵が上手で、 親思いであり、 光雲の無事息災を祈って当院の不動尊に願をかけてい
ました。 明治 25 年9月9日さくは病没します。 光雲は娘の死に力を落し、 思い出の残る谷中を離れ、
千駄木林町に移ります。
当院は関東大震災、 戦災共に、 幸いにも難を免れております。
昭和9年都市計画による道路新設のため、 境内地を斜めに 70坪 (231平方メートル) 削減されました。
光雲住居跡も今は道路となっています。 昭和34年8月不動堂並びに庫裡の一部を改築し、 他は補修を加
えて現在に至っております。
○主な寺宝
徳川信康及び築山位牌 2基
麻布着色陪羅婆金剛像 1幅
麻布着色曼荼羅図 1幅
麻布着色尊者図 1幅
以上の3幅は一連の作で、 清の嘉慶 24 年 (1819) 仁宗の命により、 直隷省 (河北省) 永定河営の
武官宋培が作成したものと伝えられています。