仲永山法音寺
東光院
◇所 在 地 〒204-0003
清瀬市中里2−1383
TEL 0424−91−0503
◇交 通 西武池袋線/清瀬駅北口下車 徒歩15分 バス/ 「中里」 下車 徒歩1分
◇開 創 不詳
◇本 尊 薬師如来
◇当寺は、 明治18年の火災に罹い、 堂宇、 寺宝、 古記録が悉く烏有に帰し、 由緒等は不詳ですが、 開山
は惠廣法師と伝えられています。
しかし、 開山は惠廣法師というのみで、 その没年等は不明ですが、 墓碑等により推定しますと、 おお
むね江戸時代前期に開山したものと思惟せられます。
前述の火災で、過去帳まで灰塵に帰しましたが、 本尊の薬師如来は焼失をまぬがれました。 その後、火
災の跡に仮本堂が建てられましたが、 長く無住の時代が続きましたので、 資料的なものはほとんどなく、
詳細は不明であります。
新編武蔵風土記には、 「除地五段、 小名本村にあり。 仲永山と号す。 天台宗にて、新座郡白子村地福寺
の門徒。 本堂7間に5間 良に向う。 本尊は薬師の坐像にて、長1尺許。 開山を惠廣と云、 示寂の年月詳
ならず」 と記されています。
かつて江戸時代前期に、 この地は旗本武蔵氏が知行していましたので、 あるいは武蔵氏の開基、 ある
いは中興になるものであるか定かではありません。
当地の武蔵氏は、 孫左衛門吉正よりはじまり、 吉正ははじめ織田信長に仕え、 のち家康に従い、 慶長
5年関ケ原役に従軍し、 同10年死亡。 その子、 吉勝は大阪役に従軍し、 寛永3年8月死亡。 さらに吉勝
の子である吉次は、 正保2年4月25日に没し、 当寺に葬られました。
この墓碑は、 境内地に現存しています。 (要玄院殿本宗道起居士霊位、武蔵孫左衛門八代孫源義陳建立
とあります。)
また当寺所蔵のものとして、 年記は不明ですが、 一部欠損した梵字による 「弥陀三尊」 の板石塔婆一
基が保存されています。
そのむかしは、 本尊の薬師如来は治病の仏として、 民衆の信仰をあつめ、 門前市をなすほどのにぎわ
いをみせたと伝えられています。
なお本寺は、 埼玉県和光市の地福寺であります。
現在の本堂は、 昭和39年に再建され、 翌年11月21日には盛大な落慶法要が挙行されました。 さらに客
殿・庫裏は平成5年に再建され、 現在に至っています。
○年 中 行 事
正月年賀 1日〜3日
節 分 会 2月3日
春季彼岸会 3月
花まつり 4月8日
大施餓鬼会 8月13日
秋季彼岸会 9月
お焚き上げ 12月31日