寺院紹介

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嘉桂山西光院 成就寺(通称:枳寺)


 
所在地 〒132-0035 東京都江戸川区平井1-24-33
T E L 03-3681-8085
交 通 JR 総武線/平井駅 徒歩15分
開 創 嘉祥元年 (西暦848年)
本 尊 阿弥陀如

成就寺の旧寺号は、嘉祥山寂光寺円仁院です。名称の様に慈覚大師が東国巡拝の時浅草寺に立寄られ、墨田川の対岸の地を選ばれて草創された寺です。時に、嘉祥元年8月12日、大師61歳と記録があります。
江戸時代末頃、此の地の地名は、本所中之郷竹町です。江戸名所図会の一部には成願寺と誌されています。寺の回りには、枳が植えられ、その生垣に沿って吾妻橋へ通じる路があり、からたち寺の呼称で親しまれていました。当時、境内に祀る宝珠稲荷の縁日には、枳のトゲを求め、できものの治療に使用されていたそうです。枳寺の呼称は、現在では知る人もほとんどいません。
江戸の大火の折、たびたび被災したようで、寺宝も数少なくなっていました。特に関東大震災では、本所地区は全く灰と化し本堂・庫裏・什物(毘沙門天像以外)全て焼失しました。現在の墨田区役所の近くに位置し、復興事業として作られた避難道路に寺域の殆どが掛かり、現在の地、江戸川区平井へ移転しました。

 

 

毘沙門天と脇侍の吉祥天及び禅尼子童子のみ難をのがれたが、現在の本尊、阿弥陀如来と脇侍の観世音菩薩及び勢至菩薩の三尊は、縁寺である木母寺より将来されたものです。本尊裏に安置されている地蔵菩薩は、文京区にある円乗寺より罹災供養のため譲り受けた等身大の半坐像であります。
墓地には、在家の仏教学者である荻野八百吉、号は梅塢及び、兵法家の越智二樂と越智鳳臺師及び清元延壽太夫の墓石があり、又、浅草紙の考案者である那波征甫氏、絵画では寺島梅里、藤原梅痴、書で中村方載、 近くは歌舞伎の坂東八重之助の墓があります。 又、入口右には岩船地蔵と親しまれる石船の上に立つ地蔵尊があります。これは荒川での水没者の共同墓地が境内と接していたもので、改修して公園にした折、当寺へ移築し祀っているものです。
当寺は昭和25年4月より東京都の認可を受け、境内にて逆井保育園を併設しています。