寺院紹介

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薬王山医王寺 東光院(通称:浅草薬師)


所在地 〒111-0035 東京都台東区西浅草3丁目11-2
T E L 03-3842-1755
交 通 地下鉄銀座線/田原町駅 徒歩8分
つくばエクスプレス/浅草駅 徒歩3分
開 創 天長年間 (西暦824~33年)
本 尊 薬師三尊

平安時代の初め、天長年間(824~33)慈覚大師によって草創され、その高弟の光尊阿闍梨が開基となって、仏工春日作の薬師三尊を安置したと伝えられている。
それより600年ほどたった長禄元年(1457)太田道潅(持資入道)が江戸城を築き、日頃から、当院の薬師如来に帰依していた。道潅は東光院を江戸城の鬼門にあて、その長久を祈願したという。
天正18年(1590)徳川家康が、関東8カ国の領主として江戸に入ると、江戸城の拡張修理と、市街地の整備にかかり、局沢(今の皇居内吹上御苑のあたり)にあった当院は、他の15ケ寺とともに移転を命ぜられ、常盤橋御門の北へ移った。
慶長年間(1596~614)小伝馬町へ移転。当時、江戸天台3ヶ寺は浅草寺、観理院(日枝神社別当)、東光院といわれ、末寺108ヶ寺を有する総本寺で、薬師様のお寺として広く知られていたようである。
慶安年中(1648~51)108 ケ寺中、85ケ寺を寛永寺に附属し、自ら23ケ寺の末寺の末寺頭となる。
明暦4年(1657)本郷本妙寺より出火した「振袖火事」で江戸市街地の大半が焼失し、当院の堂宇も灰燼に帰した。
翌、万治元年(1658)現在地の浅草新寺町へ移って、再建に着手し、4,258坪の境内地に本堂、薬師堂、鐘楼等が次々に再建された。
そして、亨保16年(1731)当院の隣接地が御鷹場となり、歴代将軍がしばしば当院を訪れたという。
下って、慶応4年(1868)江戸幕府崩壊のとき、薩長軍と彰義隊の上野戦争が起こり、山内を逃れた輪王寺宮(公現法親王)を匿ったことにより明治新政府より数々の圧迫を受けた。
関東大震災、大東亜戦争、ともに大きな被害を受けたが、敗戦の翌年、6坪の仮小屋を本堂とし、以後、檀信徒の外護と第30世静渕住職の努力により、昭和37年11月現本堂が落慶した。

○東光院略年譜

天長年間
(824~833)
慈覚大師により局沢(皇居内吹上御苑)に草創、開基は大師高弟の光尊阿闍梨
長禄元年
(1457)
涅太田道潅江戸城を築き、江戸城の鬼門除けとする
天正19年
(1625)
11月家康侯より御朱印15石を(江戸今井郷)拝領東叡山寛永寺開創
慶安年間
(1648~51)
末門108ケ寺の内85ケ寺を寛永寺慈眼大師(天海)に附し、自ら末寺頭となる
明暦3年
(1657)
江戸大火(振袖火事)で類焼
万治元年
(1658)
浅草新寺町へ引寺
慶応4年
(1868)
4月16日~17日寛永寺を落ち延びた輪王寺宮当院に入るが、探索厳しく、市ケ谷自証院へ
大正、昭和 関東大震災、第二次大戦で二度堂宇焼失、再建