寺院紹介

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梅栄山富光院 龍泉寺


所在地 〒112-0001 東京都文京区白山4丁目37-10
T E L 03-3941-3306
交 通 都営地下鉄三田線/千石駅 徒歩7分
開 創 元和8年 (西暦1622年)
本 尊 阿弥陀如来

龍泉寺は、江戸時代初めの元和8年(1622)に源頼朝の家臣の末裔、武蔵国豊島郡小石川村原の武家秋元小兵衛の屋敷内に建立された一宇の堂を起源とし、法印尊祐が元和年間に初代住持となりました。さらに延宝3年(1675)にこれまでの富光院という院号に加え、輪王寺宮から梅栄山龍泉寺という山称寺号が賜与され、正徳元年(1711)に中興開山の収順が殿堂を完備しました。本末関係は、文政12年(1829)に編纂された『御府内備考』続編では東叡山(寛永寺)末と記されていますが、幕末に編まれた『扶桑台宗本末記』では延暦寺末とされています。
龍泉寺創建の頃から江戸は人口が急増しはじめ、諸大名が城外に災害時の避難所として下屋敷を造り、武家屋敷や社寺も移転したので、地域も都市化し、地名も「原」から「原町」に変わりました。そして寺は酒井雅楽頭、一橋殿、森川伊豆守、などの屋敷と町家に囲まれるようになったのです。
『御府内備考』続編によりますと、文政の頃には現存の弥陀三尊を安置した本堂と、同規模の天満宮社が並建されていました。同書に収録されている「龍泉寺天神縁起」は、社のご神体が源頼朝の家臣秋元新八郎政吉の守り本尊として秋元家に伝わる菅原道真公の自画像で、社で連歌の会が開かれたこと、毎年正月、5月、9月に祭礼が行われ、湯立神楽が奉納されたことなどを伝えています。境内には八幡宮もありました。「梅栄山末社蟲留八幡宮縁起」によりますと、八幡神社は往古の当寺住僧の堯信法印が神夢によって上州から勧請したものと伝えています。
その後多少の興廃もありましたが、特に昭和20年の東京大空襲では弥陀三尊像、過去帳、石地蔵像、手水石以外はすべて灰燼に帰しました。しかし戦後昭和35年に庫裡と本堂が再建されるにいたり、さらに平成3年に客殿と庫裡が重建されて今日にいたっております。

■年中行事

隔月 写経会
4月8日 花まつり
4月29日 施餓鬼会

○寺院誌
「梅花」 年1回 300部発行