寺院紹介

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薬瀧山修善院 観音寺

所在地 〒157-0068 東京都世田谷区宇奈根2-24-2
T E L 03-3416-7852
交 通 小田急線/成城学園前駅南口 バス/二子玉川園駅行き
新玉川線/二子玉川園駅南口 バス/成城学園前駅行き・調布駅南口行き
「下宿」 徒歩7分 「永安寺前」 徒歩10分
小田急線/狛江駅南口 バス宇奈根行き
バス停「交通安全指導センター」(観音寺前) 徒歩1分
開 創 永正年間 (西暦1504~1520年)
本 尊 十一面観世音菩薩

観音寺は、薬瀧山修善院観音寺といい、今をさかのぼること500年前後、永正年間(1504~1520)に天台の沙門実海僧正によって創建された由緒ある古刹であります。
寺伝によれば、当時小田原にあった「円正寺」をここ宇奈根の地に移したとされており、開山当時は現在地より多摩川辺に近い氷川神社の社地に建てたと伝えられています。
開山して間もない天文年間(1531~1554)に兵火にかかって焼失し、その後元亀年間(1570~1572)に現在地に再建されました。
創建当時は、すでに戦国時代の幕開けであり、創建後もこの付近一帯は小田原城と江戸城、さらに世田谷城をむすぶ交通の要路を占めており、また武州河越城に抜ける軍道(いくさみち)等も通っていたことが記録に残されております。そのためにつねに戦火が絶えなかったことから、当地に再建されたときに寺号の「円正」が炎上に通ずることを嫌って、ご本尊の十一面観世音菩薩にちなんで「観音寺」に改めたとされています。
開基実海僧正は、武州川崎の生まれで、当寺開山後、永正11年2月15日(1514)には河越喜多院第14世に晋山し「塩味集三巻」「法華懺法抄」「十不二門」等の著作があり、また当山過去帳には沙門実海叙として「過去帳縁起」が残されています。

 

ご本尊十一面観世音菩薩は、檜材一木造り、彫眼漆箔のおよそ身の丈三尺(95センチ)の立像で、行基菩薩一刀三礼の作として、昔から『秘仏』とされていましたが、世田谷区より屈指の古像として「有形文化財」(昭和56年)の指定を受けています。
当寺開山よりおよそ350年前にさかのぼる平安末期の作で、素朴な造りながら、ふくよかな顔立ちと、その端正な口もとに漂う気品は「上求菩提下化衆生」の発心を、800年余を経た今日に今も伝え、近隣の信仰と尊崇をあつめています。御開扉:元旦・8月1日

■年譜(抄)

永正年間(1504~1520) 実海僧正開山
村内氷川神社社地に建立「円正寺」と号す
永正11年2月15日(1514) 実海僧正河越喜多院第14世に晋山
天文年間(1532~1554) 戦火により本堂焼失
天文2年8月17日(1533) 開基実海僧正喜多院にて示寂
元亀年間(1570~1572) 現在地に移転再建
寺号を「観音寺」と改称す
寛文年間(1661~1672) 再興 中興開基良智法印
享保年間(1716~1735) 再興 中興観海法印
宝暦4年(1754) 山門建立(発願)
明和4年9月15日(1767) 山門落慶(棟札現存)
文化2年(1805) 本堂再建
昭和20年5月25日(1945) 空襲により本堂、薬師堂、客殿、庫裡等を全焼
昭和22年(1947) 仮本堂を再建
昭和41年4月(1966) 鉄筋コンクリート造り本堂並びに庫裡再建
昭和62年10月(1987) 開基450年御遠忌記念に客殿建立
平成17年10月(2005) 御本尊解体大修理円成記念御開帳法要厳修

■年中行事

元旦 修正会
3月・9月 春秋のお彼岸会
4月8日 仏誕会
8月1日 大施餓鬼会
8月13~15日 盂蘭盆会
8月17日 開山忌