所在地 | 〒153-0064 東京都目黒区下目黒3丁目20番地26号 | |
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T E L | 03-3712-7549 | |
交 通 | JR山手線/五反田駅 東急バス渋谷72系統 15分 JR山手線/目黒駅 徒歩20分 東急目黒線/不動前駅 徒歩12分 |
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U R L | http://park6.wakwak.com/~megurofudou/ | |
開 創 | 大同3年 (西暦808年) | |
本 尊 | 目黒不動明王 (秘佛) ~十二年に一度 酉年に御開帳 |
関東三十六不動霊場札所・江戸三十三観音霊場結願札所・山手七福神札所
『目黒不動尊ご詠歌』 清らけき 目黒の杜の獨鈷瀧 災厄難を除ける不動尊
『聖観世音ご詠歌』 身と心 願ひみちたる不動瀧 目黒の杜におはす観音
目黒不動尊は、天台座主第三祖慈覚大師圓仁が開かれた関東最古の不動霊場です。
日本最古の土板(縄文時代)が発掘された境内は、往古より霊域であります。
大同三年、十五歳の慈覚大師は、伝教大師最澄のもとへ赴く途上、当地に立寄られ、霊夢を見ました。
面色青黒く右手に降魔の剣を提げ左手に縛の縄を持つ誠に恐ろしい形相の神人が枕上に現れて『我この地に迹を垂れ魔を伏し国を鎮めんと思ふなり。来つて我を渇仰せん者には諸々の願ひを成就させん。』と告げられました。
夢覚めた後その尊容を自ら彫刻されたのが、御本尊目黒不動明王です。
堂宇建立を決意された大師が、法具の獨鈷を投じると、そこに泉が湧出。「獨鈷の瀧」と名づけられたこの霊泉に因んで、当山を「瀧泉寺」と号されました。
貞観二年には清和天皇より「泰叡」の勅額を賜り、爾来「泰叡山」と称します。
寛永年間には、徳川家光公の帰依を受け、堂塔伽藍が復興されました。
目黒で鷹狩りをした際、愛鷹が行方しれずになり、三代将軍は自ら目黒不動尊御宝前に額づき、祈願。すると忽ち鷹が本堂前の松樹(鷹居の松)に飛び帰りました。
この霊験を目の当りにした家光公は瀧泉寺を篤く尊信することとなり、大願成就の報恩に、諸堂末寺等併せて五十三棟に及ぶ大伽藍を造立します。
歴代の将軍が折々に参詣する宏壮な堂塔は『目黒御殿』と称され、庶民も列を成して詣でる江戸随一の名所となりました。
青史に名をとどめる傑士が多く参堂し、さつまいもの栽培を広めた「甘藷先生」こと蘭学者・青木昆陽
が当山の墓地に眠り、毎年10月28日には先生の遺徳を偲ぶ『甘藷まつり』が開かれます。
二宮尊徳は報徳仕法の成功を祈誓し、西郷隆盛は主君島津斉彬公の当病平癒のために日参。東郷元師は
日本海海戦の勝利を立願しました。
その所願は円満成就し、いよいよ不動尊信仰は隆昌を極めました。
開創以来千二百餘年を閲する今日も変ることなく、鎮護国家並びに萬民豊楽を祈念して、護摩供が毎日厳修され、毎月28日の目黒不動尊大縁日には、門前や境内に露店が並び、多くの参拝者が訪れます。
国史跡 | 甘藷先生墓~蘭学者・青木昆陽の墓 |
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東京都文化財 | 前不動堂 |
目黒区文化財 | 銅造胎蔵界大日如来座像 銅造神変大菩薩倚像 木造辨財天十五童子像 勢至堂 |
比翼塚 | 白井権八・小紫の塚 |
本居長世記念碑 | 童謡の父・本居長世の碑 |
毎月28日 | 目黒不動尊大縁日 |
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毎月8日、18日、28日 | ご縁日護摩 |
元旦より8日まで | 新年初護摩 |
1月14日 | 開山忌(慈覚大師忌) |
1月15日 | 干支まつり |
2月節分 | 豆まき式(追儺會) |
2月15日 | 涅槃會(納札お焚き上式) |
3月8日 | 刷毛・筆供養會 |
3月中日 | 春季彼岸會 |
4月8日 | 花まつり(釈尊降誕會) |
4月24日 | 大施餓鬼會 |
6月4日 | 山家會(伝教大師忌) |
7月13日 | 盂蘭盆會(精霊供養) |
9月中日 | 秋季彼岸會 |
10月28日 | 甘藷まつり(昆陽遺徳法要) |
11月24日 | 霜月會(天台大師忌) |
12月8日 | 成道會(釈尊開悟の日) |
12月冬至 | 星曼荼羅ご開帳 |
大晦日 | 除夜の鐘 |
○目黒区指定文化財
http://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/gakko/bunkazai/shitei/index.html