寺院紹介

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福増山長福寿寺 常樂院(常楽院|通称:江戸六阿弥陀五番)


所在地 〒182-0006 東京都調布市西つつじケ丘4-9-1
T E L 0424-84-0900
U R L http://homepage3.nifty.com/jorakuin/
交 通 京王線/つつじヶ丘駅 徒歩3分
開 創 天平年間 (西暦729~748年)
本 尊 阿弥陀如来

常楽院は、天平年間に行基菩薩の開創と伝えられ、本尊阿弥陀如来も行基作と伝えられています。もとは台東区上野池ノ端にありましたが、昭和20年3月戦災での焼失を機に現在地調布市に移りました。
通称「江戸六阿弥陀五番」と称されています。この縁起によりますと、聖武天皇(724~749)の頃、武蔵国足立郡に沼田の長者と呼ばれる庄司従二位藤原正成という人がおり、熊野権現に詣でてようよう授った一女を隣の郡に住む豊島左エ門尉清光という領主に嫁がせました。この息女は足立姫と呼ばれる程にみめ形美しく、仏を崇い天質聡明であったそうですが、領主の姑がことごとく辛くあたり悲歎の日々を送っていたところ、里帰りの折りに思い余って沼田川(今の隅田川)に身を投げ、五人の侍女がまた姫のあとを追って川に身を投じたのです。
後日、諸国巡礼の旅に出た長者が再び熊野権現に詣でたところ夢に権現が立ち、一女を授けたのはそなたを仏道に導く方便であった、これより熊野山中にある霊木により六体の阿弥陀仏を彫み広く衆生を済度せよ、と申されたのでした。夢の通りに山中で光り輝く霊木を得た長者は念を込めて霊木を海に流し、帰国してみると果して霊木は沼田の入江に流れ着いていたのでした。
そして間もなくこれも夢のお告げの通りに諸国巡行の途にその地に立寄られた行基菩薩に乞うて六体の阿弥陀仏を彫り、六女ゆかりの地にそれぞれ堂を建てこれを崇ったのです。江戸時代に入り、この六阿弥陀巡礼が信仰と行楽で大いに賑わい江戸名所図会にも描かれています。

一番 西福寺(真言宗) 北区豊島
二番 恵明寺( 〃 ) 足立区江北
三番 無量寺( 〃 ) 北区西ケ原
四番 与楽寺( 〃 ) 北区田端
五番 常楽院(天台宗) 調布市
六番 常光寺(曹洞宗) 江東区亀戸

今も両彼岸には朱印帖を手に巡礼される人々が絶えません。
 

 

『思い出のアルバム』歌碑
当山第五十二世本多慈祐(鉄麿)は作曲家として讃仏歌、仏教保育関係の歌、各地の幼稚園、保育園、学校等の園歌校歌を数多く作曲した。現在、仏教系に限らず全国の幼稚園、保育園で卒園歌のように歌われている「思い出のアルバム」(増子トシ作詩、本多鉄麿作曲)の歌碑が常楽院境内に建てられている。これは、戦後、慈祐住職が地域の青少年文化活動として俳句会、読書会、合唱団等を組織し又、神代幼稚園を創設し、その中で育てられた有志の方々により平成8年に慈祐没後30年を記念して建てられたものである。