寺院紹介

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鎧島山 智泉院(通称:茅場町のお薬師さま)

所在地 〒103-0025 東京都中央区日本橋茅場町1丁目5-13
交 通 地下鉄日比谷線・東西線/茅場町駅 徒歩1分
開 創 寛永12年 (西暦1635年)
本 尊 薬師如来

鎧島山の山号の由来は、『江戸砂子』によれば近くに茅場町から小網町二丁目への渡し場があり、鎧の渡しといいました。その昔、源頼義が奥州平定の時に、この辺を舟で渡ろうとしたところ、にわかに風が吹いて荒浪がたち、鎧を沈めて竜神に祈って浪を鎮めたとの記述があり、今も伝説として残っています。
江戸時代には病を治す御利益のある薬師信仰が盛んで、茅場町のお薬師様は特に人々の信仰が厚く、有名でした。
江戸城を築いた太田道灌は、自分の領地(相模国大庭村)より薬師如来を江戸に移しました。のち江戸城に入った家康が、天海に命じて江戸城の鎮守である日枝神社(千代田区の山王神社)の神輿が渡る所である山王御旅所を南茅場町に設置し、別当寺として薬師堂をつくりました。これが智泉院のはじまりです。
延宝7年(1679)に刊行された『江戸方角安見図鑑』(江戸城下町の切絵図)には、山王御旅所が見え、その境内に智泉院が描かれています。前には幕府のお抱えの御船手組(海軍)の頭、向井将監の屋敷が、北側には運河がありました。そのころの地誌や名所案内にはかならず茅場町“お薬師様”の賑わいがでています。
『江戸名所図会』には「薬師堂、同じく御旅所の地にあり、本尊薬師如来は、恵心僧都の作なり、山王権現の本地仏たる故、慈眼大師勧請し給ふといへり、縁日は毎月八日、十二日にして、門前二・三町の間、植木の市立てり、別当は医王山智泉院と号す」とあります。
歌人で芭蕉十哲の一人、其角が境内地に住んでおり、
夕やくし涼しき風の誓いかな
の句をよんでおります。
明治初年の神仏分離令により、多年奉祀してきた山王権現から薬師堂、智泉院が独立し、現在地に移りました。

 

○天水鉢
境内にある一対の鉄製の大きな天水鉢は天保12年(1841)4月、当時この辺の町名であった阪本町の人々が、深川の有名な鋳物師“釜七”こと釜屋七右衛門に鋳造させた名品。 -中央区民文化財-
 

 

○地蔵尊
青銅製で像高は235㎝。作者は日本橋本小田原町で生まれた彫刻家、戸張狐雁。関東大震災でなくなった人々の供養のために、日本橋魚河岸の“地蔵講”が製作発願し、昭和2年9月1日除幕式が行われた。 -中央区民文化財-

 

○落語「心眼」
主人公の女房が眼病を治そうと茅場町のお薬師様にお百度の願掛けをする話。作者は初代三遊亭円朝。
その名調子で有名となった。