寺院紹介

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宝寿山遍照院 長命寺(通称:風流寺)


所在地 〒131-0033 東京都墨田区向島5丁目4番4号
T E L 03-3622-7771
交 通 都営地下鉄線/押上駅
バス/向島2丁目 徒歩6分
開 創 元和元年頃 (西暦1615年頃)
本 尊 阿弥陀如来

長命寺の起源に関しては、寺伝によると「当寺は元和元年頃の中田某の檀那寺なれば、その頃の建立に係るものならん」……とあり、村内一宇の道場として小庵が存在していたものと思われる。しかし開山については定かではないが、「長命水石文」には「当寺いにしへは、宝樹山常泉寺と唱し道場なり」とあり、三代将軍徳川家光公が、当地に鷹狩りに来た際、腹痛を起し、住職の加持した庭中の般若水(井戸水)で薬をのんだら痛みが止まったので、以後長命寺と呼ぶように改号されたのである。もと東叡山寛永寺の末寺に属していたが、今は比叡山延暦寺を本山としている。
江戸時代の本堂は安政2年の大地震に焼失してしまい、明治になっても復興はなかなか困難を極めた。麻布の武家屋敷を移築させてこれを本堂とし、明治時代に及んだ。仮堂ながら風流な造りが当地と似合った。この堂も大正12年の関東大震災にて再び焼失し、本尊の阿弥陀如来は、からくも難をのがれて現在に至っている。
また境内には芭蕉堂、観音堂、弁天堂、稲荷社、地蔵堂、般若堂等の諸堂があったが、いずれも震災で焼失してしまい、そのご尊像のみ難をのがれた。
芭蕉堂は芭蕉像を安置したお堂で、宝暦年間に自在庵祇徳の建立による。近くに芭蕉の句碑「いささらば雪見にこ路ふ所まで」(原文のまま)も残されている。特に雪景色が有名であったため詠まれた句であり、向島の地が風雅な趣きを持っているところによる。
江戸時代末期、当時の文人墨客達が隅田の地に七福神を設けた。いつの時代でもあることだが福を願う人々が、本来の宗教的要素とは別に、正月の散策を兼ねた信仰が庶民階級の間に広まった。隅田川七福神の内、当寺には弁財(才)天が祀られていて、正月は参詣人で賑わう。
又、江戸時代から門前の長命寺桜餅が有名で、隅田川という絶好な地の利と共に人々に気に入られて今日に至っている。

 

○石碑
当寺の石碑は震災の火を被っているが、30基ほど多様な石碑が残っている。歌碑、俳句碑、狂哥碑、筆塚、人物碑、墓石等である。風流寺にふさわしい辞世の句
此世をは ど里やお暇に せん古うの 煙りと供に 者ひ左様南ら
十返舎一九
どのやふ那 なん題目を かけ累とも よむは妙法連歌狂哥師
太田蜀山人
今日庵、現在庵、春秋庵の墓石や、
好酒院杓盃猩々居士 (盃の形の碑)
好色院道楽宝梅居士 (男根の形の碑)
内損か腎虚とわれはねがふなり そは百年も生のびしうへ
十返舎一九
成島柳北の碑(肖像を浮き彫り)
大黒屋光太夫の碑
初代鶴沢清六の碑(義太夫の名手)
橘守部の墓(江戸時代の国学者)
六助塚(飼犬の碑)