寺院紹介

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龍華山長寿院 永安寺

所在地 東京都世田谷区大蔵
交 通 東急新玉川線/二子玉川駅
小田急線/成城学園前駅
バス/二子玉川園~成城学園前駅間 永安寺前 徒歩2分
開 創 応永5年 (西暦1398年)  再興:延徳2年 (西暦1490年)
本 尊 千手千眼観世音菩薩 (伝恵心僧都作)

永安寺は室町時代(足利時代)に「鎌倉府」(第二室町幕府)を開いた初代鎌倉公方、足利基氏公の子、二代鎌倉公方・氏満公(二代)が没したのち、その菩提寺として氏満公の法号「永安寺殿壁山道全大居士」を採って鎌倉建長寺の曇芳大和尚が寺主となって、応永5年(1398年)鎌倉の二階堂大蔵谷(おおくらがやつ)に建立され、開創当初は臨済宗に属し「ようあんじ」とよんでいました。四代鎌倉公方・持氏公は永享の乱で幕府軍に攻められ、永享11年(1439年)永安寺において多くの家臣とともに自害し、鎌倉永安寺に葬られました。これによって永安寺も次第に廃れてしまいました。
四代持氏公は切腹の際、重臣・二階堂信濃守に永安寺の再建を遺命しました。50年後信濃守の末孫、清仙大和尚は延徳2年(1490年)3月、現在地(武蔵国中丸郷大蔵)に永安寺を再興しました。
第六世、良深大和尚によって天台宗に改められました。(天正年間)
第十世、法印乗海大和尚(明暦年間)の頃、諸堂塔を再建し仏殿を荘厳して、現在の永安寺の礎をきずきました。中興の祖となっています。十三世法印随圓大和尚の頃にも寺容が整えられたと思われます。
「龍華山」の山号は、鎌倉の故地にあった「龍華樹(りゅうげじゅ)」と名付けられていた桜の古木に因んでつけられました。清仙上人は鎌倉より移植して堂前に植えたといわれています。また院号は鎌倉にあったときは四代鎌倉公方・持氏公の戒名「長春院殿」により「長春院」と号していましたが、現在地に再興後、第六世・良深大和尚によって永安寺が天台宗に改められた時に、「長寿院」に代わったと伝えられています。