寺院紹介

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参等山妙達院 永隆寺

所在地 〒153-0061 東京都目黒区中目黒5丁目7番21号
T E L 03-3711-5818
交 通 JR 山手線/目黒駅
バス/東急バス三軒茶屋行自然園下 徒歩2分
東急東横線/中目黒・祐天寺駅
バス/祐天寺より東急バス目黒行自然園下 徒歩2分
バス/中目黒より東急バス大井町行き田道小学校 徒歩5分
開 創 元和4年 (西暦1618年)
本 尊 阿弥陀如来

当寺は、元和4年(1618)日蓮宗日達上人により開基され、元は麻布山大乗寺(院号不明)と称した日蓮宗の寺院で、港区芝三田小山町にありました。
元禄11年11月輪王寺宮公辨法親王御預けとなり、宗を天台宗に改め、隋道(武州安養寺第二世等順の資)が中興の祖となりました。
天保5年1月輪王寺門主より現在の参等山永隆寺の山号寺号を、翌2月に妙達院の院号を賜り、新たに開山されました。
日蓮宗の時代には、寛永18年織田信良五女(臼杵城主稲葉信通夫人)、延宝7年戸川安風(庭瀬藩二万石)、元禄3年稲葉たつ(織田信久夫人)を葬りましたが、天台宗への改宗により、織田氏・稲葉氏の墓所は他へ移されました。
又、当寺は元々旧但州出石藩仙石家の菩提寺であり、仙石の城主仙石元子爵家、大関元子爵家、花房元男爵家、旗本戸川家及びそれ等の家臣の菩提所として維持されていました。
明治維新後、当地に移るに到りました。移転に伴い仙石家の墓は但馬国に移された為、現在では、仙石騒動の中心人物であった神谷転の墓と、出石藩士の経済学者乗竹孝太郎の墓標が残るのみとなりました。
又、江戸時代の画家狩野探幽と当時の住職が親交があったらしく、瓢形の狩野探幽の墓碑がありましたが、狩野家菩提寺になる池上本門寺境内の南之院に移されました。

■年中行事

10月17日 御十夜を兼ねた大施餓鬼会。他は天台宗の年中行事に準ずる。
異形の仏像 宇賀神像、歓喜童子像、飯綱権現立像。
墓所、墓標 狩野派中興の祖狩野探幽の瓢形の墓碑がありましたが、現在は池上本門寺南之院に移されています。仙石騒動の中心人物神谷転の墓所と、旧但馬出石藩士の経済学者で「スペンサーの社会学原理」の著訳で知られる乗竹孝太郎の墓標があります。他に仙石家奉納の六角形六地蔵塔があります。