寺院紹介

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東叡山寛永寺 現龍院

所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園15-25
T E L 03-3821-3466
交 通 JR 山ノ手線/鶯谷駅 徒歩5分
開 創 寛永初年 (実は寛永5年西暦1628年)
本 尊 阿弥陀如来

寛永寺山内の子院の一つとして、権大僧都什誉師が創建した。開基を真岡藩主の稲葉佐渡守正成とするため、寛永初年の創建とされているが、実は前夫人の春日局(三代将軍家光の乳母)が天海僧正とはかって、正成を弔うために新規に建立した寺だと考えられる。春日局と天海僧正はかねてより昵懇の間柄であり、こうしたことから、僅か2万石の正成の法名を天海僧正自からがつけて、春日局が一院を建てたと見るべきであろう。
開基の什誉は千葉三塗台(長福壽寺)の学頭を兼任した学僧であった。
第三世の亮伝大僧正は、初名を諶泰と称し、天海伝の内の「諶泰伝」の著者でもある。又、師は当代随一の碩学で、慶安4年の家光の死に殉じた老中堀田正盛、阿部重次の両者をはじめ、内田正信、三枝守恵らの人々が、当院への埋葬と亮伝師の引導を望んだのも道理である。このことは、春日局縁りの堀田家の仲介と思われるが、亮伝師の奔走の結果、この未曽有の願いは入れられて、今日に残る殉死者の墓ができた。亮伝の実力の程が窺える話である。
その後、元禄九年、宝永六年、明和九年にそれぞれ罹災したが、その度毎に復興された。創建の地は現在の当院墓地の一帯で、享保五年に山下の下寺通りに移り、戊辰後は谷中の浄名院裏をへて、大正三年現在地に定着した。
歴代住職には高僧が多く、学頭として十一代将軍家斉の葬儀を主導した鈴明大僧正、執当の鈴然僧正、江戸城紅葉山別当の公副僧正、天台宗参務から臨時宗務総長をへて、東叡山輪王寺門跡、寛永寺住職となった浦井亮玄大僧正などがいる。