寺院紹介

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東叡山寛永寺 護國院(護国院|通称:護國院大黒天)

所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園10-18
T E L 03-3821-3906
交 通 千代田線/根津駅 徒歩7分
開 創 寛永2年 (西暦1625年)
本 尊 釈迦牟尼如来

護國院は、東叡山寛永寺の子院のひとつで、寛永2年(1625)天海僧正により東叡山が開かれたのと同時に、同僧正の命を受けた開基生順によって東叡山最初の子院として建立されました。その後、寛永7年(1630)天海僧正により境内に一堂が建立されたのですが、そこに古佛師春日の作といわれる釈迦文珠、普賢の三尊像を安置し、本尊としたところから、このお堂は釈迦堂と名づけられました。同時に護國院はこの釈迦堂の別当寺となり、管理運営を任されるようになりました。この釈迦堂は壮麗を極めたもので、草創期の東叡山においては、第一の大建築物であり、その後元禄に根本中堂が完成するまでの間、東叡山の総本堂の役割を果していました。護國院は創建当初、上野の山の東北、今の國立博物館の裏あたりに位置していましたが、慶安4年(1651)三代将軍家光の霊廟を建立する際、幕府の命により北寄りに移築され、宝永6年(1709)五代将軍綱吉の霊廟建立にあたり清水門の傍らの現在の場所に移りました。後享保2年(1717)に釈迦堂は焼失、同7年に再建され、近代にはいってからは、昭和2年、東京市立二中(現在の上野高校)の創立にあたり境内地の大半を譲渡し、釈迦堂を現在の位置に移動したのを機に当院の本堂となりました。永い年月を経て、創建当時の壮麗な姿は失われたものの堂内のあちこちには当時を偲ばせる貴重な壁画などが現存しています。
この釈迦堂において、寛永16年に大坂城落城25年にあたって、豊臣、徳川両軍の霊を弔うため、大念佛法要が執り行われたのですが、この功績を称えて三代将軍家光公より、藤原信実卿筆と伝えられる大黒天の画像が寄贈されました。それ以来この尊像をお祀りし、護國院大黒天として信仰を集めるようになりました。とりわけ正月三日の福湯の行事は、江戸名所図会、江戸砂子にある如く有名でした。またこの大黒天は谷中七福神のひとつとしても数えられ、正月には多くの人が参拝に訪れています。

重文 愛染明王掛軸(巨勢相見筆)。
三代将軍家光公寄贈の大黒天画像他
梵鐘 家康公使用の陣鐘、宝暦に改鋳。