寺院紹介

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牛頭山千手院 行元寺


所在地 〒141-0031 東京都品川区西五反田4丁目9番10号
交 通 東急目黒線/不動前駅 徒歩5分
開 創 未詳
本 尊 千手観音

行元寺は元牛込肴町にあり行願寺とも称されていました。本尊である千手観音は恵心僧都の作と伝えられ、甞て頼朝公が石橋山で敗戦して、関東下向の砌行元寺に来詣し本尊に祈願して曰く、もし天下に覇たるを得ば荘田を寄附し永く法燈を輝かさんと。其の夜尊像を襟にし、天下を平定すと夢を見る。後に霊夢の如くなると、故に世俗これを襟掛の尊と称す、とあります。
又一説には行元寺は、室町時代太田道灌が江戸城を築いた時に地鎮祭を行ったという名僧尊慶によって開かれたとも言われるが詳しくは明らかになっていません。
現在は明治末に区画整理により、現住所に移転しました。戦火により本堂焼失以後、昭和30年コンクリートブロックの本堂を建て、本尊を安置してあります。行元寺は頼朝公祈願により、祈願寺として維持しております。
17世豊道慶中は春海と号し、日本芸術員会員として戦前戦後を通じて書道会の中心的役割をになった。
戦後日展に書部門を設立するに盡力し又書道教育にもつくした。作品として浅草寺の楹聨、延暦寺の大講堂、目黒瀧泉寺の春洞西川先生碑、日光山輪王寺の石柱などがある。
18世印南慶隆は渓龍と号し、父春海と同じく書道会の要職を歴任し、モダンで特異な作風をもって一家をなした。終戦直後に用いられた隷書の読売新聞題字は現在も用いられている。
行元寺には、隠語の碑がある。碑は太田南畝の筆になるもので裏面に28字より成る隠語が綴られている。近時歴史研究の方々が訪れて調べられることが多い。