寺院紹介

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東叡山寛永寺 寒松院

所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園15-11
交 通 JR 山ノ手線/鴬谷駅 徒歩3分
開 創 寛永4年 (西暦1627年)
本 尊 阿弥陀如来

寒松院は、文化の森・芸術の森として知られる上野公園の一角にあります。寺名の由来は、寒松院開基である津藩主・藤堂高虎公のご法名をそのまま寺名にしたものです。高虎公はもともと他宗門の方だったのですが、徳川家康公が75歳の生涯を終えられようとしていたときに、高虎公の手を取って「あなたがいなかったら天下太平の今日を迎えることは難しかった。心より感謝しています。ただ、心残りはあなたと私とで宗門が違っているため、来世の浄土が違ってしまいます。それを思うと辛く寂しい」と涙を流されました。それを聞いた高虎公も涙を流し「私はまったく至らない者ですが、上様と同じ天台宗に改宗いたします」と即座に得度をし、「寒松院」の法名を戴いたのです。このとき法名を授けたのは、家康公が篤く信頼していた天海大僧正でした。
さて、高虎公は現在の上野動物園から東照宮にかけた場所に下屋敷があった大名であり、家康公を祀る上野東照宮が建立されたときに、江戸市民が参詣する際の便を図って屋敷地を献上しました。同時に寒松院を東照宮の別当寺として建立したのです。寛永4年(1627)のことでした。
その後、寒松院をはじめとする寛永寺の諸堂は、明治元年(1868)戊辰戦争の際に彰義隊の立てこもりにより、多くが焼失しました。跡地は上野公園となり、寒松院は明治21年(1888)現在の寛永寺の裏手に、境内360余坪の寺院として移りました。しかし昭和20年(1945)には太平洋戦争の戦火に遭い再び焼失、現在の場所で再建され、今日にいたっています。
ちなみに高虎公の霊は、上野動物園の旧正門を入って正面、石塀をめぐらせた一角に藤堂家の墓所(非公開)があり、その中央に眠っています。また、一説によれば「上野」という地名も、高虎公の城地である伊賀上野からつけられたと言われています。

 

○文化財史跡
藤堂家墓所(台東区有形文化財)
宝篋印塔型墓石(供養塔を含む)14基
灯籠12基