寺院紹介

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東叡山寛永寺 林光院


所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園15番9号
T E L 03-3821-4250
交 通 JR 山ノ手線/鴬谷駅 徒歩3分
開 創 江戸初期
本 尊 阿弥陀如来 (旧・大慈院本尊)
脇 侍 観世音菩薩 勢至菩薩

当院は東叡山・寛永寺の子院です。開基の宣雄大僧都は備前の国、岡山の人で光珍寺の澄宣大和尚の下で修行に励んでいましたが、当時、江戸で評判の高い寛永寺を開かれた天海僧正の高徳を慕って江戸へ出て僧正のもとで修行する事が許されました。
寛永初期、宣雄和尚は今のJR鴬谷駅上の台地に草庵を建て林広院と名づけました。慶安4年(1651)ご逝去の徳川家光公をまつる寛永寺の大猷院霊殿が建立されるにあたって当院の敷地が選ばれ、西北の地に移転しました。当時の林広院は埼玉・忍(おし)の城主、下総守・松平忠弘公の宿坊で公は宣雄和尚への尊崇の念厚く、草庵を改修し僧糧100石を寄進されたり、その他多くの業蹟を残された方で、当院の歴史上、忘れることのできない篤信者であります。
宝永2年(1705)7月、輪王寺宮・公辨法親王のご推薦により、当院は六代将軍・家宣公のご生母、長昌院殿の霊廟の別当寺と定められ、450石を賜りましたが、時の住職、第四世・智顕和尚は従来の寺名、林広院を法華経序品「處林放光」の偈文に基づき、現在の名称、林光院に改めました。
宝永6年(1709)、当院は公辨法親王の命により6年ぶりに大改修が行われ、正徳2年(1712)、公儀により再び官租100石が加増され、併せて550石となり栄えましたが、慶応4年(1868)5月の戊辰の役で寛永寺の諸堂宇は大半が焼失し、各子院は縮少や移転を余儀なくされました。
明治35年(1902)、上野桜木町48番地に移った当院は更に大正4年(1915)、同町9番地に移転、後に輪王寺門跡になられた当時の長沢徳玄住職建立の新院宇は惜しくも昭和20年(1945)3月の東京大空襲により全焼しました。第2次大戦後は寛永寺住職の住居寺である上野公園の凌雲院にしばらく仮寓しましたが、昭和25年(1950)8月、現在地に先代住職が木造で再建の後、平成元年(1989)11月、鉄筋コンクリート総2階建ての現本堂や庫裡などが完成、今日に至っております。これもひとえに檀信徒の方々の浄財御寄進のお陰であります。

 

○文化財史跡
林光院の表門
当院の表門は江戸時代、諸大名が江戸に居住するために幕府が与えていた江戸藩邸の門のひとつで、もと徳島藩の某大名(25万7,000石)所有の中屋敷御庭仕切門で昭和30年、当院に移築したものです。
仕様は総欅造、銅板葺、平唐門、平面は四脚門で側面に唐破風をつけています。主柱は円柱上部粽柱、控柱は方柱面取上部粽付、ともに礎石建ちです。主柱間は内法貫虹梁形、頭貫木鼻付でつながれ、主柱、控柱間は腰貫、飛貫、頭貫でつないでいます。中備に波形の蟇股を置き、男梁上では主柱に笈形をつけています。唐破風の兎毛通は牡丹の彫刻とし、その上の拝みには若葉と○の中に卍の飾金具があります。軒は一軒疎輪垂木で両脇壁の上部櫛型連子窓は現本堂完成の際に復元しました。