寺院紹介

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覚了山清浄寺 世尊院 

所在地 〒113-0022 東京都文京区千駄木1-22-30
T E L 03-3828-4280
交 通 地下鉄千代田線/千駄木駅 徒歩8分
バス/63千駄木1丁目(門前)
開 創 元禄8年 (西暦1695年)
本 尊 釈迦牟尼如来 (伝定朝作)

「覚了山清浄寺世尊院は元禄年中瑞春院様御願に従い公儀御建立の寺院に候」これが当院に残る唯一の「当院由緒書写」に記されている創建の発端です。先ず瑞春院は「お伝の方」といい、小谷権兵衛忠栄氏の娘で、館林殿(後の綱吉公)の寵愛を受け、鶴姫、徳松の2子をもうけ綱吉公の覚えもめでたく、延宝8年5月綱吉公が五代将軍の座につかれ江戸城に入られ同時にお伝の方も2子と共に江戸城に入り「五の丸御殿」と呼ばれ、一層の寵愛を受けられました。翌年7月父小谷氏が急死しお伝の方の悲嘆深く、父のため覚了院殿という院号を受け追善供養の日々でした。綱吉公もお伝の方の胸中を察して元禄8年6月(1695)家臣に命じて小谷氏追福のため駒込村(現在地)に一寺を建立され又徳川家康奉安の釈迦牟尼如来を本尊とし世尊院が開山しました。山号の「覚了山」は小谷氏の院号によりました。開基には寛永寺一山明王院快堂恵宏師を第一世として迎えました。
当院の落成に当たって常憲院殿(綱吉公)御実紀には「小普請組頭建部十郎左衛門昌孝千駄木世尊院造営の事つかふまつりしとて褒金給う」とあり綱吉公がいかに力を与えられたかが推察されます。又同年8月には同書に「この日千駄木世尊院に寺領200石を給う。これ桂昌院尼公(綱吉公母)の御願によりてなり」とあります。この日以来当院はご朱印寺となり幕末までその待遇を受けていました。翌9年お伝の方の母も没し、当院に葬られ、高覚院殿と追号されました。後綱吉公没せられるに及びお伝の方は落飾され「瑞春院の方」と称せられ81歳で示寂されるまで綱吉公の霊前に仕えられました。法名を「瑞春院殿到誉清月凉池大禅定尼」とし、徳川家菩提寺増上寺に葬られました。又鶴姫、徳松君も早世されたと伝えられています。
当院は江戸時代再度の火災及び今次大戦により堂宇全焼し瑞春院殿外の遺物、宝物等一切焼失し、まことに残念なことです。幸い本尊は再三の不幸にも安泰だったのです。