寺院紹介

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慈雲山長栄寺 正法院


御本尊 聖観世音菩薩 阿弥陀三尊仏
所在地 〒170-0001 東京都豊島区西巣鴨4-8-1
T E L 03-3917-2360
交 通 都営地下鉄三田線/西巣鴨駅
バス/池袋←→浅草雷門・池袋←→とげぬき地蔵前/西巣鴨 徒歩3分
都電荒川線/新庚申塚 徒歩3分
開 創 天平2年 (西暦730年)
本 尊 聖観世音菩薩

正法院は、寺伝によれば、天平2年(西暦730)行基菩薩によって、上野下谷が岡に観世音菩薩を本尊として、京都藤森稲荷を勧請し(のちに下谷稲荷と呼ばれる)合わせ開創されました。
文禄2年(1593)毘沙門堂門跡公厳僧正作の豊島郡下谷が岡稲荷明神縁起に、藤森神社のご神霊が行基菩薩に「仏法弘通の為に諸国を遊行せば、必ず有縁の地あらん。其所にわが神影を鎮座すべし。醍醐の法味を誉め永く国家を鎮護し五穀を成就せしめ、一切の衆生の諸難を除かしめん」と告げ、三弁宝珠に姿を変えて東を指して空中を飛び去って行った。その後、行基菩薩が東国に巡錫した折、下谷が岡に至ったところ奇瑞を感じ、爰ぞ有縁の霊地なるべしと、出現した神影と手づから彫刻をした観世音の尊像を勧請した、とあります。

 

文禄二年癸巳九月 毘沙門堂法務僧正公厳 当稲荷社の縁起を録す
武蔵国豊島郡下谷ケ岡正一位稲荷大明神縁起

 

「武蔵国豊島郡下谷ケ岡正一位稲荷大明神縁起」
抑も当社の明神は人皇四十五代聖武天皇の御宇天平二年洛陽三の峯の神霊行基菩薩に託し、「師仏法弘道の為に諸国を遊行せば必ず有縁の地あらん。其所に我神影を鎮座すべし、醍醐の法味を誉め永く国家を鎮護し五穀を成熟せしめ一切の衆生の諸難を除かしめん」と告げ給いて三の宝珠となり東をさして空中を飛び去り給う。
師斜ならず欽喜の思をなす。其後武蔵国豊島郡下谷ケ岡に至り給う時奇瑞の事ありしによりて爰ぞ有緑の霊地なるべしとて親しく出現の神影並に十一面観世音の尊像を手づから彫刻し即勧請し給う。
爾来光影を送り来て人皇六十一代朱雀帝の御宇天慶三年朝敵相馬次郎将門を追討のため常陸の大橡国香其の子平貞盛、下野国の住人田原藤太秀郷出陣の時に臨み秀郷当社に参籠し朝敵退治の祈願をこめしかば終に将門を誅し速に戦功をあらはし東国悉く平定す。依て社頭を造営して弥々神威を尊崇す。此の年始めて三月十一日を以て神祠の祭礼を行はしむ。爾来毎歳此の日を以て恒例とはなせり。
然るに開基以来殿舎敗壊回禄数度に及ぶといへども神託空しからず天平の始より文禄の今に至り星霜既に移り八百六拾余年に及べり。
今年我徒円須宣命を蒙り別当職たらしむるにより旧記に依って略して綱要を録する巳耳。
維時文禄二年癸巳九月吉日
毘沙門堂法務 僧正 公厳(東京市市稿による)

 

慈覚大師の頃、天台宗に帰属し、天慶3年(940)には俵藤太秀郷が参籠祈願して、平将門討伐に成功し大檀越になったと伝えられています。
その後、上野に寛永寺を創建するため移転を命ぜられ、下谷に落ち着きました。
頻繁に起きる大火でも類焼が少なく、特に天和2年の八百屋お七の大火には、火元の近くにもかかわらず寺と周辺の檀信徒は皆類焼を免れ、本尊の霊験として、世に「火伏観音」とあがめ篤く拝まれました。寺に「火伏符」が伝わり毎歳配布されています。
明治元年、下谷稲荷を分離し(下谷神社となる)明治38年(1905)には西巣鴨の現在の地に移転しました。
昭和47年に旧本堂を境内奥に移し現本堂を建築し、さらに白山通り拡幅を機に書院庫裏を新築し、寺標・山門等を新設、新たに仏足石等を勧請して輪奐を整え、平成8年11月には山容を一新しました。
旧本堂は、上野輪王寺宮法親王の書院だったものを明治6年に拝領し、本堂として下谷車坂に移築したものであり、現在地西巣鴨に移転した折にも運搬して再建し、阿弥陀堂と呼ばれています。

 

○正法院の寺宝
本尊聖観世音菩薩坐像
十一面観世音菩薩立像(御前立本尊)
不動明王立像(木)、不動明王立像(石)
愛染明王坐像
元三大師像(木)(秘仏)、同掛軸
石棒(石根権現)
灯籠(石)(日光安養院より奉納)
鬼瓦(菊花紋)、釘かくし(菊花紋)
稲荷大明神画像
声明集
日天月天画像
釈迦十六善神図
仏足石
敷石供養塔