寺院紹介

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富元山瑞泉院 眞光寺(真光寺)


所在地 〒157-0064 東京都世田谷区給田1-19-9
T E L 03-3300-8302
交 通 京王線/仙川駅 徒歩5分
開 創 嘉祥2年 (西暦848年)(伝)
本 尊 薬師如来

眞光寺の創建は、嘉祥2年(848年)に慈覚大師によると伝えられております。その後暫く廃寺同様になっておりましたが、寛永14年(1636年)僧「清賢法印」が、藤堂高虎公の助力により再興され、正保4年(1647年)諸堂宇、及び天神社(現在の本郷桜木神社)が落慶されました。
以後、藤堂家(35万石)の菩提寺として又宝永2年(1705年)ご分家(久居殿3万石)も檀越となり、益々隆盛の一途を辿ることになります。
当時の本尊は阿弥陀如来でしたが、他に薬師堂、地蔵堂等があり、特に薬師如来は「本郷薬師」と称され多くの人々の信仰を集め、毎月8日、12日、22日の縁日は江戸三縁日と呼ばれる程、賑わいました。この賑わいは、明治・大正・昭和初期まで続き、泉鏡花の「婦系図」、樋口一葉の日記にも賑やかな情景が描写されています。この薬師如来は、慈覚大師の一刀三礼の彫刻によるものと伝えられています。
さて、このような隆盛を極めた眞光寺は、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲により一夜にして硝煙と化し、堂搭伽藍のすべてを失いました。幸いにして、薬師如来像、阿弥陀如来像の頭部は、当時の住職光頴が校長を務めていた旧制駒込中学校の鉄筋校舎の金庫や、防空壕に納めてあり、焼失をのがれました。
昭和26年(1951年)寺院規則の一部変更の手続きを経て、現在の世田谷給田の地に移転しました。焼失をのがれた薬師如来、阿弥陀如来像頭部だけからの戦後第一歩でした。移転後の本郷は、墓地と薬師堂、露座の十一面観音像が残されている他には、全て宅地になっています。昭和53年(1978年)地元の商店会が中心となって、「本郷薬師奉賛会」が発足し、薬師堂が再建され、毎年1月8日には初薬師が開かれます。戦後、前住職光存の努力によって、復興がなされ、平成4年境内地の買収(以前は借地でした)。平成6年新本堂新築と悲願が達成されました。昭和54年からの復興も終止符が打たれました。

■眞光寺の仏像について

眞光寺には古くから伝わる二つの仏像があります。昭和54年世田谷区教育委員会の調査により、詳細が明らかになりました。

 

○阿弥陀如来像頭部

総高 43.5㎝
面幅 17.3㎝
頂顎 28.6㎝
耳張 22.3㎝
面長 17.0㎝
面奥 22.1㎝

以上の法量が明らかになりました。「寄木造 玉眼嵌入金泥彩 肉髻珠・白毫各水晶製」の構造を持っており、体躯から取外す事が出来、よって戦災をのがれました。

 

○薬師如来立像

像高 31.5㎝
光背高 43.8㎝
面長 4.3㎝
面奥 4.0㎝

等の法量があります。「一木造、彫眼、墨彩。頭、体通して、持物、及び蓮華座も含めて一材で彫出」されており、そのため素朴で簡略化された表現が目につきます。
参考文献:『世田谷区寺社史料』第一集彫刻編(昭和57年3月)