寺院紹介

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護国山尊重院 天王寺

所在地 〒110-0001 東京都台東区谷中7丁目14-8
交 通 地下鉄千代田線/千駄木駅 徒歩15分
JR 線/日暮里駅南口 徒歩2分
開 創 鎌倉時代後期 (13世紀後半)
本 尊 阿弥陀如来

天王寺は、緑に囲まれた広大な谷中墓地の一角にあるため、都心部にもかかわらず静寂な環境に恵まれています。桜並木の墓地参道の突き当たり、山門をくぐって境内に入ると、正面に奈良の十輪院を模した古風で優美な姿の本堂が出迎えてくれます。そして右方奥には、平成10年に落慶した上善堂(講堂)、客殿の棟が目に入ってきます。このように昔ながらの寺院建築と近代建築とが見事に調和しているところが当山の景観の特長です。
さて、天王寺はもとは日蓮宗の寺でした。鎌倉時代後期、土豪関長耀が、当地に立ち寄った日蓮聖人に帰依して草庵を作り、弟子日源がここに聖人自刻の像を祀って長耀山感応寺と称したのが開創と伝えられています。その後、室町時代に目黒碑文谷の法華寺(今の天台宗円融寺)から日耀が転住、中興してから永らく栄えましたが、元禄11年(1698)、法華信者以外からは布施を受けず、また他宗派の僧には布施を施さないという不受不施派に属していたため江戸幕府より邪宗として改宗を命ぜられ、これに抗した住職日遼は八丈島へ遠島になりました。そして、聖人像はじめ日蓮宗関係の品々もそれぞれ近隣の瑞輪寺等の同宗寺院に移管され、当山は名実ともに廃絶の危機に瀕したのです。
しかし、東叡山輪王寺の住職である公弁法親王が、由緒ある当山が廃寺となるのを惜しみ、天台宗寺院として存続することを幕府に説いて認められました。願主は輪王寺宮公弁法親王、大檀那は5代将軍徳川綱吉。そして、台宗第1世に千駄木大保福寺の慶運大僧正(のちの長野善光寺中興)を迎え、また本尊も、当山が寛永寺の北方に位置するところから、やはり延暦寺の北方にある鞍馬寺が毘沙門天を奉安して国家安穏・仏法護持を祈願しているのにならって、比叡山飯室谷円乗院より伝教大師親刻とされる毘沙門天立像を移して新本尊としました。ちなみに本尊は明治になって現在の阿弥陀如来坐像にかわりましたが、この毘沙門天は江戸の昔より谷中七福神の1つとして篤い信仰を集め、今日に至っております。

 

富突きの図(東都歳事記)

 

その後、元禄13年(1700)には、毘沙門天の十種福の縁由によって、寺門維持のため幕府から富くじの興行を許され、目黒不動・湯島天神とともに「江戸の三富」に数えられて大いに賑わいました。その様子は『東都歳事記』などに詳しく描かれていますが、当山に残る富突き定め書き(板額)および『富興行一件記』等は、当時の庶民生活を知る上で大へん貴重な史料となっております。
ついで天保4年(1833)、中山法華経寺の日啓らが当山を再び日蓮宗とする運動を展開。輪王寺宮舜仁法親王の計らいでこの企ては叶いませんでしたが、当山はこれを機に長耀山感応寺から現在の護国山天王寺へと改称しました。その代わりに雑司ケ谷鼠山に感応寺の名跡を継いだ日蓮宗の大寺院が建立されましたが、間もなく取りつぶされました。
その後、戊辰戦争に際しては、当山は幕府方の彰義隊の営所となったため官軍との戦闘に巻き込まれ、毘沙門堂(当時の本堂)以下諸堂宇が焼失しました(刀傷のある柱が今でも残っています)。続いて明治新政府の神仏分離政策によって日本国中にいわゆる廃仏毀釈の嵐が吹き荒れましたが、当山も広大な境内地の上地を命ぜられるなど大きな痛手を被りました。それでも当時の歴代住職は、焼け残った本坊を本堂に修築し、前記のように本尊を阿弥陀如来として滅罪等の檀務につとめ、復興を進めました。
大正・昭和期に活躍した福田堯頴大僧正(第16・18世)は、希代の学僧、戒律厳守の大徳として宗内外に知られ、当山に貴重な典籍を集積して一大仏教図書館(福田蔵)と成したほか、『戒密綱要』『天台学概論』『法話集』等を著わして、現在に至るまで学徒ならびに檀信徒を裨益し続けております。
昭和32年には、戊辰戦争の際にも焼失を免れた五重塔が放火によって惜しくも炎上しました。当山の五重塔は、はじめ寛永21年(1644)に建てられたものが明和9年(1772)の大火に類焼、それを寛政3年(1791)に再建したものでしたが、この時の顛末を題材として文豪幸田露伴が小説『五重塔』を書いたことで一躍有名となり、「谷中の五重塔」と呼ばれて親しまれておりましたが、永久保存の理由から明治末年以降東京市(都)に移管してありました。しかし、炎上した五重塔も下層部は焼け残りましたので、時の住職第19世田村貫雄大僧正はその残材を使って昭和36年に毘沙門堂を再建。戊辰罹災の時、吉祥天・善膩師童子(ぜんにじどうじ)の2脇侍像(江戸時代の作)とともに四谷安禅寺に避難して無事であった毘沙門天を安置しました。
第20世大久保良順大僧正は、大正大学学長として宗徒の教化育成にあたる一方、維新以来の本堂再建の悲願を達成するために尽力し、昭和57年に現本堂ならびに書院を再建しました。さらに平成10年、現住職により講堂・客殿・新山門が新築されて今みる伽藍となったのです。寺格・特別寺。

■年中行事

1月1日 修正会
1月1日~10日 谷中七福神めぐり(毘沙門天)
1月初寅 初寅毘沙門天護摩供
2月3日 節分会
2月初午 初午稲荷供養
2月15日 涅槃会
3月春分 春彼岸中日法要
4月8日 花まつり
5月15日 日蓮宗歴代供養
6月4日 山家会
7月13日 迎え盆法要
7月16日 送り盆法要
7月20日 施餓鬼会
9月秋分 秋彼岸中日法要
10月20日 地蔵まつり(『地蔵経』読誦)
11月24日 霜月会(大師粥)
12月8日 成道会
12月31日 歳末法要
2~12月の各3日 毘沙門天護摩供
毎月20日(原則) 法話会
毎月第4土曜日 仏像彫刻会
毎月30日(原則) 写経会
年8回 東京教区教化研修所研修会

○その他
寺報『塔の影』発行(昭和24年3月創刊、年2回、発行部数1,600部)

 

○主な寺宝
阿弥陀如来坐像(室町時代、木像)
毘沙門天立像(平安時代、木像、台東区指定文化財)
釈迦牟尼如来坐像(露坐、元禄3年(1690)、銅像、通称「元禄大仏」)
『長耀山感応寺尊重院縁起』(日長筆、慶安元年(1648))
『富興行一件記』等富興行関係史料11点(台東区指定文化財)
五重塔遺物(舎利塔・経筒・写経・伏鉢等)
法華塔(寛永10年(1633)銘、当山墓地内)

 

○有名人の墓
朝倉文夫(彫塑家)、石橋思案(作家)、大橋訥菴(勤王家)、河田貫堂(儒学者)、河原田稼吉(政治家)、菊池海荘(漢詩人)、黒川真頼(国学者)、小島政二郎(作家)、古島一雄(政治家)、三遊亭円遊(初代、落語家)、塩谷宕陰(儒学者)、島田篁村(儒学者)、田川鳳朗(俳人)、戸塚静海(医家)、原田直次郎(洋画家)、巻菱湖(書家)、牧野富太郎(植物学者)、山口素堂(俳人、現在位牌のみ)、芳野金陵(儒学者)ほか多数。また、新田義貞嫡流の墓所、古河藩主土井家など大名家の墓所もあります。